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大学生は「自由」について考え直そう。【書評/14歳からの哲学 考えるための教科書/池田晶子】

大学生は自由だ。

特に文系大学生は。

自由だからこそ道に迷う。

ここでいう「道」とは、マップで表示されるものではなく、
日々生きていくための指針のこと。

道に迷ってしまった大学生は、どこに進めばいいかわからなくなる。

ある人は、大学に来ず、遊び呆ける。

ある人はバイトに明け暮れる。

自由だからだ。

無限に広がっているかのように見える自由さのために、道に迷ってしまう。

僕もその迷っている人の一人だ。。

では、その「自由」とはなんだろう。

ただ、暇な時間がたくさんあるということなのだろうか。

遊びで予定がぎっしり詰まっていて、寝る暇もないような人は自由ではないということなのだろうか。

ちょっと違う気がする。

では何が「自由」なんだろう。

大学生になって、嫌というほど「自由」が与えられた。

だからこそ、僕たち大学生は「自由」についてもう一度考え直さなければならない。

そこで、今回読んだのが、「14歳からの哲学 考えるための教科書」だ。

14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書

 

本書に述べられている「自由」について考えてみたい。

自由とは

 本書では、「自由」をこのように定義する。

善悪を自分で判断すること、それができることが、本当の自由

善悪を自分で判断し、それに基づいた行動ができることを自由だと述べている。

しかし、ここで注意したいのが、

自分が良いと思ったことならば、すべてやっていいと言っているわけではない

ということだ。

その理由について、本書ではこう述べられる。

人は、善悪と快苦を間違いやすい

 自分が「善」だと思ってした行動は、本当はただの「快楽」だったということがよくある。

逆に、自分が「悪」と思って避けた行動は、実は「苦」で、自分を成長させてくれる「善」の機会だったということもある。

このように、本当の自由を享受するためには「善悪」を判断するうえで、「快苦」と混同していないかを問いかけることが重要だ。

大学生が本当の自由を愉しむには

大学生は、「善悪」の判断を「快苦」で判断してしまっていることが多いのではないか。

ただ楽しいから、ただ気持ちがいいから、

時間を過ごしてしまっている。

でも、それは、本当に「自由」と言えるのだろうか。

自分にとっての「善悪」の基準を持って、自由を愉しむべきではないか。

ただし、自分にとっての善悪の基準は、誰かに決められるものではない。

本書でも、

よいと悪いとを判断する基準は、自分の内にしかない

 と述べられている。

だからこそ、自分なりの確固たる「善悪」を持って、大学生活を過ごしたい。

それこそが、自由を愉しむということだ。

ただ快苦に終始するだけの大学生活には、したくない。