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「健常者」も「障がい者」も、本当はいないんだよ。【より良い社会実現のために】

僕は大学で社会福祉を学んでいる。

そこで違和感を覚えることが多々ある。

その一つが「健常者」という呼び方だ。

僕はこの呼び方に嫌悪感を覚える。

なぜなら、健常者と障がい者という区別があるのがそもそもおかしいからだ。

健常者の基準は明らかでない。

同様に障がい者という基準もあいまいだ。

障害者基本法では、障害者を以下のように定義している。

身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する)がある者であって、障害及び社会的障壁(事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう)により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう

 どこからが身体・精神・知的障害なのだろうか。

「日常生活又は社会生活における相当な制限」とはどの程度のものなのだろう。

これらのことから、健常者と障がい者の間に明確な基準はないことがわかる。

では、なぜ明確な基準がないのに「障がい者」と呼ばれている人が社会に存在しているのだろうか。

それは、

「障がい者」という言葉があるからだ。

「障がい者」という言葉があるから「障がい者」が存在する。

「健常者」という言葉があるから「健常者」が存在するのだ。

おそらく、「障がい者」という概念が先に生まれ、障がい者でない人を「健常者」と呼ぶようになったのだろう。

本来、「障がい者」も「健常者」も明確な実態がない、言葉だけの概念のはずだ。

ならば、「障がい者」という言葉を無くせば、「障がい者」という概念がなくなり、「障がい者」と呼ばれる人はこの社会からいなくなるのではないだろうか。

全ての元凶は「障がい者」という言葉なのだ。

「障がい者」という言葉を無くせばいいのだ。

では、どうすれば、「障がい者」という言葉を無くすことができるだろうか。

みんなが同じように生活できるようにすればいい。

特別な気配りを必要とする人がいないような社会にすればいい。

障がいがあっても、社会生活に影響が出なくなれば「障がい」の概念はなくなる。

夢物語と笑うだろうか?

可能なはずだ。

その理由として、第1にテクノロジーが発達していることがあげられる。

かつて、駅で車いすの人が階段を降りるためには、6人もの手助けが必要だった。

しかし、今はエレベーターがある。

誰ひとりの力も借りず、階段昇降が可能になっているのだ。

このようにテクノロジーの発達が障がい者の方の生活を助けている。

第2にユニバーサルデザインデザインの存在だ。

ユニバーサルデザインとは

障害の有無、年齢、性別、国籍、人種等にかかわらずさまざまな人々が気持ちよく使えるよう都市や生活環境を計画する考え方。

ユニバーサルデザイン(ゆにばーさるでざいん)とは - コトバンク より引用

もし、身の回りにある製品すべてがこのようなユニバーサルデザインのものであれば、誰でも同じように生活することが可能になるはずである。

もちろん、これらの達成には膨大な時間がかかる。

しかし、それでも、テクノロジーの発展とユニバーサルデザインの浸透・普及ができれば、「障がい者」という概念を消すことができるのではないか。

いつの日か、子供たちが、

昔は「障がい者」っていう考え方があったんだって!

えー!ひどーい!

と言えるような社会が来ることを願ってやまない。